もものポジティブ日記!

最近自信を失ってきているももが、自信を取り戻すために自分のことをつらつらと書き連ねる日記です

結局

明日、8/29で33週になるというところで、入院が決定しました。

子宮頸管12mmで子宮口も1〜2cm開いているらしいです。

人生初の点滴、違和感すごい。痛みもすごい。

でも痛くてもなんでもいいんです。それより主人と離れてることが本当に寂しくて。

今日役所関連の手続きを全て済ませてくれて、初めて2人で病院に行きました。

エコーを一緒に見れるのは今日が最初で最後かも、てことで楽しみにしてたけど…そのまま入院。

主人はわたしが入院を嫌がってることわかってて、できるだけ自宅安静で様子を見れるように話していました。でもお医者さんのいろいろな話を聞いて、そして納得がいったのかわたしの目を見て、入院しようと言いました。

泣いていやいやとぐずっていましたが、それでも主人は赤ちゃんのためだよって。

そうだよね。切迫早産の人のことをネットで調べまくっていたわたしには、12mmで子宮口も開いている状態は明らかによくない。頭ではわかってたけど感情が…。

でも最終的には泣きながら、入院することに同意をしました。

初めての夕ご飯はあまり美味しくなかったです。笑

主人は入院の荷物を取りに一旦家に帰ってます。

1人でご飯を食べながら、今日の朝に主人と話したくだらない話を思い出してまた1人でグスグス。

23歳、大人になりきれない。

3週間ほどで退院の予定。カウントダウンしながら頑張ります。

ポジティブになれない日記

更新してない間に妊娠31週を過ぎておりました。
安定しない状態の中、引っ越しやら転院やら色々とタスクに追われて…
転院前の病院は大きな総合病院で、かかりつけ医のことが大好きでした。
ですが引っ越し先からだと県を越えてになるので、妊婦健診の受診券が使えないという理由と、かかりつけ医ではない人でかなり当たりの強い人がいたという理由から転院を決め、昨日転院先の病院に行ったところです。
ずっと切迫早産だと言われてはいましたが、薬と安静で様子を見続けていました。
転院先では薬は出さない方針なので、と言われて困ってます。
たとえ飲まないにしても、お守りがわりにあるだけで全然違います。
まだあと1ヶ月はお腹にいてほしいところ。
ストレスや心配などはないに越したことないのになあ、と思い、転院前の病院に電話で戻れないか聞いたのですが、転院先に従ってくださいと断られてしまいました。
あー、こうやって難民みたいになってしまうのか、と現在途方に暮れているところです。
状態がどんどん悪化していけば入院になります。
そしたら錠剤なんかよりもっと強い点滴で対処します。
錠剤で抑えられるならそれに越したことはない、というのは間違ってるんでしょうか?
最悪の事態になるまではできるだけ自然な状態で…とか思ってるんですかね?なんだか納得いきません。
薬も残り1週間とちょっとの分だけ。
臨月まではあと6週。
妊婦健診の時期も勝手にずらされ、踏んだり蹴ったりです。
待ち時間2時間半。そりゃ悪化もするよ…と思ってしまいますがね。
何より夫に悪くて、勝手に自己嫌悪です。
あの病院この病院…と振り回して、ごめんね。どうしよっかなあ

たまに思い出す

うちはずっと貧乏で、ディズニーなんて夢のまた夢みたいに思っていたのですが、

中学生ごろからかな、夏休みに1度だけディズニーに行くというのを何年か続けたことがありました。

毎年1回の贅沢で、母と2人わいわい遊ぶのがとても楽しかったのをよく覚えています。

夏のとても暑い日に行ったことがありました。

暑いね〜、来年は対策してもっと快適に過ごそう!と言って

翌年は、タオルに吹き付けると少し凍るスプレーを買って持っていきました。

行列に並びながらスプレーをする母。

気持ちいいなと思っていたのに、周りの人がこちらをすごく見ている気がしました。

気のせいかもしれません。

だけどその目が気になり、母に

もうそれ使わないで!迷惑だから!

と強く言ってしまい、母は

えーなんでー!と言いながら

スプレーをしまって、それからカバンから出すことはありませんでした。

実際にスプレーが迷惑だったのかは、はっきり分かりません。

でも周りの目を気にし出すまで、わたしはたしかに母と、

これいいね!いいの持ってきてよかった!

と笑いあっていたのです。

中学生。思春期だったわたし。

あんなにいきなり母を突き放すような言い方、するんじゃなかったと、たまに思い出しては胸が苦しくなります。

本当に親孝行とは程遠い生き方ばかりしてきて、ごめんね。

勘当されて、もう親孝行することも出来なくなってしまって。

本当にごめんね。

大事に大事に育てられてきました。

一人娘、母子家庭だから貧乏だからと我慢することもありました。

それでも不自由なことなんか一つもなかったです。

みんなが持ってるあのブランドがほしいと言えば、クリスマスにはたくさんの文房具やカバンや小物を揃えてくれました。

はたちを過ぎてもだらしがなくて、甘えてばかりのわたしでした。

こんな歳までクリスマスも誕生日もいつも用意してくれてました。

母をすきな気持ちが消えないです。

自分には確固たる自信がありません。

今の人と子供を産んで育てて行くことにも、諦めて母の元に戻りまたいつか幸せになれることにも、自信がないのです。

子供は産みたい。だけど、なぜいつまでも迷うのか。

今日はっきりとわかりました。

わたしは彼がすきなんです。ただ、彼と離れなければならないときっと脳内ではわかっています。

散々な目に遭ってきたから、こんな彼ではいけないと。

なのに、すきだから、まだそばにいたいと思ってしまうのです。子供を産めばもっと離れられなくなるでしょう。

だからいつまでも迷うのです。

そして、両親とまた仲良く過ごしたい。ディズニーだって、今度はわたしから誘ってチケットを用意して過ごしたい。

旅行だっていった記憶がほとんどないし、もっと両親とやりたかったことがたくさんある、ということも、考えてしまうのです。

母にはごめんなさいとありがとうをもっとたくさん伝えたい。

まだ迷いがある今、そんな気持ちを書こうと思いブログにしました。

文章がまとまらないですね。涙が止まらないです。

ママに懺悔

昨日はほとんど泣きませんでした。

勘当されたことが、どんなに切ないかはっきりとはわかってませんでした。

反抗心もありました。電話で出産に賛成できない、その理由を聞かされて怒られて多少うんざりしていたんだと思います。


今日は区役所にいって、実家から彼と住んでいる家に住所を変更しました。

もう実家側の区役所にはめったに行かなくなるんだと思うと、それすら悲しい気持ちになりました。

転出と転入を終えてから、母子手帳をもらい、いよいよわたしもお母さんだな、と思うと少し気分が良くなったのに、その後すぐに自分の履いているスカートが、ついこの間、ママと池袋で買ったことを思い出しました。

思えば、毎年春夏秋冬なぜかママはわたしと池袋で買い物をして、自分の服なんか1枚も買わずにわたしの服ばかり選んでいました。

わたしが少し太った時期は、体型があまり見えないようなの買おう、ってゆったりしたブラウスやワンピースを買ってくれました。

その後痩せたら、痩せたむぅちゃん(わたしのこと)に服を買うのが楽しいと言って、たくさん買ってくれました。

いつでも1人娘のわたしを愛してくれていたことは伝わっていました。

もちろん、出産に反対しながらでも…そこに愛があることはわかっていたのに…。

妊娠してから一度だけ、彼とわたしと母の3人での話し合いの場を設けました。

それはたった1時間ほど、ホテルのカフェのようなところで。

母は顔を歪めて泣く瞬間もありました。泣き虫な母のこと。泣く姿は何度も見ましたが、こんな風に泣くのを見たのは初めてでした。

その時に手渡された紙袋には、母の作った苺ジャムと、わたしが実家にいた期間に母に生活費として渡していたお金が入っていました。

お金はわたしが渡していた金額よりずっと多かったです。母が足してくれていたんだと思います。

自分は本当になんて親不孝なんだろう、と思います。

どうしたらよかったのか、と悩みます。

だけど産むことをやめると言えない。

向こう何年か、もしかしたら10年以上、わたしは両親に会えないのかもしれません。

10年後だとしたら、母は56歳。少しぽっちゃりなママ。体が心配です。

でもそんな心配をする資格さえ、今の自分にはないのです。

歳を取っていく姿を見れない、見せられない、このせつなさったらないですね。

全ては自分が招いたこと。

このブログを書きながら1人泣いていますが、ずっとはメソメソしていられない。

前向きに、自分を信じなくては。

土日はゆっくりとお花見でもしたいなと思っています。

ママも綺麗な桜、見れていますように。

ママになる

わたしは、彼との付き合いで自分の自信のなさから、揉め事や悩みが多く、ブログで自分を肯定していこう、自信をつけていこう、と思いこのブログを開設しました。


そんなわたしが、彼との赤ちゃんを、今、妊娠しています。

親は大反対でした。

彼の悪いところもたくさん親に話していました。

挨拶にも行きました。彼の両親は喜んでくれてますが、やはりうちの両親や親戚はみな反対です。

子供は諦めて別れなさいと言われ続けました。

自分も親に育ててもらった恩があります。

親戚のことも大好きです。

でも中絶を決心できませんでした。

妊娠10週、初期の中絶をするならそろそろギリギリの今日、母に産むと伝えました。

母からは、もう娘はいなかったことと思うしかない。勘当しますと言われました。

泣きながらごめんなさいと言って電話を切りました。

彼は、俺が責任を取ると言ってくれています。

彼についていこうと、やはり思いました。

まだ23歳。若すぎるし、順序も違う…。

親の気持ちはわかります。そして自分の子供が同じ状況に立たされたら、やはり母のように言うかもしれません。

それでも今は…彼とともに歩む未来をとりました。

親不孝ものです。

幸せになった姿をいつか見せてあげたい。何年先でも。

このブログはしばらく母や親戚への想いを綴るブログにしたいと思います。

大切な気持ちを、忘れないように…。


ママ、みんた、ゆこちゃん、きもちゃん、みんなみんなごめんなさい。

育ててくれてありがとう。大好きです。幸せになります。

お誕生日大作戦~6/1編~

6/1、彼の誕生日当日

仕事を定時で終わらせダッシュで彼の家まで向かいました

ケーキを回収して彼の家まで着いたら猛スピードで部屋を飾る!!!

サプライズのフォトアルバムは隠して、キーケースのほうだけカバンに詰めて家を出ました。

いつも待ち合わせする彼の職場の最寄まで戻ります。

そこから彼の夕飯リクエストを聞き、おいしい焼肉屋さんに!

おなかいっぱい食べたところでキーケースをプレゼントしました。

彼はわーいと言って鍵をすぐさま付け替えていました。笑

ぼろぼろだったもんね、それ。大事に使ってくれたらうれしいな~

ほろ酔いでしかもめったにご馳走しない私がおごったからテンションあがって、カラオケいきたいな~と言い出す彼。

こちらはおうちのサプライズが成功するかそわそわ・・・彼が疲れて寝ちゃうと必死に飾った家も台無し・・・

でもせっかくだしとパセラで1時間過ごし、次こそ帰宅・・・と思いきや記念にプリクラもとることに。笑

美白された彼を見ながら愛しいな~てなり、いよいよ帰宅することに。

おうちにつきリビングの扉を開けると・・・彼、すごく驚いてました。

「さてはお前、会社休みだったな~!?」と疑いまでかけられ笑

でも説明したらほんとに感動していて、こんなことしてもらったことない。すごくうれしい。しばらくこのままにしておく!といって、2日経った今もそのままにしてます。笑

その後ケーキを出して食べつつ、アルバムを渡しました。

彼はえ!?え!?と言いながらもにやにやアルバムをよんでました。そして最後のページ・・・小さな封筒が2つ貼ってある。彼がそっとあけると・・・ディズニーのチケット。翌日の6/2の有給の意味がようやく分かったようです。

あ、明日これ行くってことか!と言ってました。

アルバムは感動というより作品としてすごいといって目をキラキラさせてました。笑

制作時間も費用もめちゃめちゃ掛かりました。でも頑張ってよかった。

彼は今年で40歳になったけど、こんなことしてもらったの初めて!って何度も言ってた。わたしがいっぱい彼に刺激を与えられてるんだなってうれしくなります。

次は6/2ディズニー編。こちらもだいぶ長くなりそう。備忘録的につかわせてください。笑

きのうのけんか

昨日、彼とけんかしてしまいました。

わたしは今すごく彼の子供がほしくて、一種の焦りのようなものを感じていました。

子供が生まれたら、彼と私の絆がもっと深まるだろうとか、本当の家庭のようなものを築けそうだなといった理由からかな、と思っています。

 

あるタイミングでピルを辞めて妊娠に向けて動き出そうか、と昨日はなしました。

彼は勉強があるから子育てを理想通り手伝えるかわからないよ、と言われました。

ふたりとも子育て初心者。妊娠もしていないのにそういわれて少し辛くてだんだんと険悪に。

彼は君とこどもと、支えるためには税理士にならなくちゃ。て言ってました。

でも4年はなれないじゃん。てけんか。

なんでそこまで子供がほしいの?て聞かれて、あなたがどっかいっちゃいそう。って答えてしまいました。

それは彼を束縛するための言葉ではなく、ただ家族のために時間を使って、笑顔で過ごしたい。という意味だったのですが、彼にはそう伝わらなくて、

それ、前の奥さんと言ってること同じだよ。と言われて大ショック。

一緒にしないでほしかった。でも彼にとって子どもという存在がとても大きいからこそ出た発言でした。

そのあとまた一通り話し合って、ももの言ってることわかったよ。ごめんね。と謝ってくれて、わたしもごめんね。っていって、終わったのですが。

まずはやっぱり税理士になるまでいろいろ話が進むことはないのかなって少し悲しくなります。

果てしなく長いような。はあ。でも彼はやっぱり私とのことを考えたうえで税理士になることを決めているようなので、そこは背中を押してあげるくらいじゃないとな!気合い入れなおし!

生きてく上ではお金は必要だし、彼とのんびり過ごしたいし、そんな日々を送るには税理士になっておうちを継ぐしかない・・・。

まだまだどうなるかわからないこの先の人生。前向いて頑張る!