たまに思い出す
うちはずっと貧乏で、ディズニーなんて夢のまた夢みたいに思っていたのですが、
中学生ごろからかな、夏休みに1度だけディズニーに行くというのを何年か続けたことがありました。
毎年1回の贅沢で、母と2人わいわい遊ぶのがとても楽しかったのをよく覚えています。
夏のとても暑い日に行ったことがありました。
暑いね〜、来年は対策してもっと快適に過ごそう!と言って
翌年は、タオルに吹き付けると少し凍るスプレーを買って持っていきました。
行列に並びながらスプレーをする母。
気持ちいいなと思っていたのに、周りの人がこちらをすごく見ている気がしました。
気のせいかもしれません。
だけどその目が気になり、母に
もうそれ使わないで!迷惑だから!
と強く言ってしまい、母は
えーなんでー!と言いながら
スプレーをしまって、それからカバンから出すことはありませんでした。
実際にスプレーが迷惑だったのかは、はっきり分かりません。
でも周りの目を気にし出すまで、わたしはたしかに母と、
これいいね!いいの持ってきてよかった!
と笑いあっていたのです。
中学生。思春期だったわたし。
あんなにいきなり母を突き放すような言い方、するんじゃなかったと、たまに思い出しては胸が苦しくなります。
本当に親孝行とは程遠い生き方ばかりしてきて、ごめんね。
勘当されて、もう親孝行することも出来なくなってしまって。
本当にごめんね。
大事に大事に育てられてきました。
一人娘、母子家庭だから貧乏だからと我慢することもありました。
それでも不自由なことなんか一つもなかったです。
みんなが持ってるあのブランドがほしいと言えば、クリスマスにはたくさんの文房具やカバンや小物を揃えてくれました。
はたちを過ぎてもだらしがなくて、甘えてばかりのわたしでした。
こんな歳までクリスマスも誕生日もいつも用意してくれてました。
母をすきな気持ちが消えないです。
自分には確固たる自信がありません。
今の人と子供を産んで育てて行くことにも、諦めて母の元に戻りまたいつか幸せになれることにも、自信がないのです。
子供は産みたい。だけど、なぜいつまでも迷うのか。
今日はっきりとわかりました。
わたしは彼がすきなんです。ただ、彼と離れなければならないときっと脳内ではわかっています。
散々な目に遭ってきたから、こんな彼ではいけないと。
なのに、すきだから、まだそばにいたいと思ってしまうのです。子供を産めばもっと離れられなくなるでしょう。
だからいつまでも迷うのです。
そして、両親とまた仲良く過ごしたい。ディズニーだって、今度はわたしから誘ってチケットを用意して過ごしたい。
旅行だっていった記憶がほとんどないし、もっと両親とやりたかったことがたくさんある、ということも、考えてしまうのです。
母にはごめんなさいとありがとうをもっとたくさん伝えたい。
まだ迷いがある今、そんな気持ちを書こうと思いブログにしました。
文章がまとまらないですね。涙が止まらないです。